「好きな女性アナウンサーランキング」で5年連続1位も獲得したことがあり弘中綾香。
彼女はテレビ朝日のアナウンサーとして高い人気を誇っていますが、学生時代は一体どういった女の子だったのでしょうか?
今回は弘中綾香の学生時代をまとめてみました。
弘中綾香のプロフィール
名前:弘中 綾香(ひろなか あやか)
生年月日:1991年2月12日
出身地:神奈川県
身長:157㎝
血液型:A型
職業:アナウンサー
弘中綾香の学生時代!幼少期から大学時代までを徹底紹介
弘中綾香は裕福な家庭に生まれ育っていて、中学からは私立校へ通っていたこともわかっています。
その年代ごとにしっかり成長していて、それが現在の彼女の活躍へとつながっています。
弘中綾香の学生時代~幼少期
弘中綾香は幼い頃はどういった女の子だったのでしょうか?
意外にも当時はかわい子ぶっていたことがわかっています。
幼少期はぶりっ子だった
弘中綾香は自身の幼少期について「ぶりっ子だった」と語っていて、かわい子ぶることで周りからチヤホヤされていたのだそうです。
ですが、やがてぶりっ子をしても周りに通用しなくなってしまい、ぶりっ子をするのは辞めてしまいました。
ピアノを習っていた
弘中綾香は幼少期の頃からピアノを習っていて、音楽が好きな女の子でした。
ピアノのレッスンもそれなりに真面目に受けていて、普段見るテレビも音楽番組が多かったのだそうです。
弘中綾香の学生時代~小学生時代
弘中綾香が通っていた小学校は「川崎市立東小倉小学校」だと言われています。
この学校はごく普通の公立小学校で、自宅から最寄りの学校だったことがうかがえます。
中学受験は早くから意識していた
弘中綾香には3つ上に姉がひとりいて、その姉が日々勉強に追われながら中学受験をした姿を見て、早くから彼女も中学受験を意識していたのだそうです。
ただ、どこの中学に入学するかなどは考えておらず、漠然とした思いを抱えていました。
塾に入ってからは勉強漬けの日々を送った
弘中綾香は中学受験を意識して小学4年生の頃から大手の進学塾へ通うことに。
ここから彼女は勉強漬けの日々を送るようになり、視力はあっという間に低下して瓶底メガネをかけていたのだとか。
6年生の頃には「1日も休まない」と決めて1ヶ月猛勉強をしたり、1日12時間以上勉強したこともありました。
中学受験に合格するもモヤモヤした
弘中綾香は中学受験の第一志望は「地元の女子校」で、試験は見事合格。
その勢いのまま、記念に名門の「慶應義塾」を受験し、こちらも問題なく合格をつかみ取ります。
当初は「第一志望に行きたい」とワクワクしていたようですが、慶應義塾に受かったことで、周囲からは「当然慶應でしょ」という反応をされてしまい、モヤモヤしていたのだそうです。
弘中綾香の学生時代~中学生時代
弘中綾香が通っていた中学は名門の「慶應義塾中等部」です。
当初は第一志望の女子校を目指していましたが、慶應義塾へ合格したことでそちらへ進学しています。
内部進学組のお坊ちゃん、お嬢様に圧倒された
弘中綾香は中学は名門の慶應義塾へ進み、そこでは彼女と同じように受験組とは別に内部進学組もいたようで、最初はその違いに圧倒されたのだそうです。
内部進学組のお坊ちゃん、お嬢様は生粋のお金持ちの家系ばかりで、美少年や美少女揃い。
その一方で自身は瓶底メガネをかけたイケてない女の子だったようですが、馴染むのにさほど時間はかからなかったのだそうです。
オーケストラ部に入り、ヴァイオリンをはじめた
弘中綾香は中学ではオーケストラ部に所属していたようで、ここから彼女はヴァイオリンをはじめています。
その後、ヴァイオリンは8年間続けていて、今でも彼女の特技のひとつとなっています。
中学時代は暗黒時代?
弘中綾香は自身の中学時代について「暗黒時代」だと語っていて、当時は瓶底メガネをかけ、いかにもな「ガリ勉タイプ」だったことを明かしています。
また、異性に対しても「腐っていた」と語っていて、男子との交流は持つことなく、暗い思春期を過ごしています。
弘中綾香の学生時代~高校生時代
弘中綾香の通っていた高校は「慶應義塾女子高校」です。
彼女は中学から高校はエレベーター式で進学していて、とくに受験などはしていません。
高校時代は学校行事に熱中
弘中綾香は中学時代は暗い時期を過ごしたようですが、高校では積極的な生徒になったようで、当時は学校行事にかなり一生懸命だったのだそうです。
そのため、部活や課外授業、文化祭から体育祭などは積極的に参加し、中学時代には無かった「達成感」を感じていたのだそうです。
先生の「男は踏み台、使い捨て」という言葉から考え方が変わった
弘中綾香は高校時代に人気だった先生がよく「男は踏み台、使い捨て」と言っていたと語っていて、彼女はこの言葉を聞いて考え方が変わったことを明かしています。
この先生の言葉には「何かに頼らず自立して生きろ」という意味があったようで、彼女はこの言葉のとおり、何事も自分で判断し、責任を持って行動するようになったのだとか。
男子校の生徒と3対3でグループデート
弘中綾香は高校時代に男子校の生徒と3対3のグループデートをしたことを明かしていて、このときはなんとディズニーランドに行ったのだそうです。
ただ、このときは彼女がシャイすぎて自分からは何もできず、結局恋に発展することはありませんでした。
弘中綾香の学生時代~大学生時代
弘中綾香が通っていた大学は「慶應義塾大学」です。
この大学は誰もが知る名門大学のひとつであり、彼女は「法学部政治学科」に在籍していました。
大学時代はフィールドホッケー部のマネージャーで女王様だった?
弘中綾香は大学時代に長年憧れていた体育会系の部活である「フィールドホッケー部」に入部し、そこでマネージャーを務めることに。
元々運動音痴だったこともあって選手側には回らず、裏から部員たちを支える活動をしていました。
ただ、同じ大学でフィールドホッケー部の後輩・草薙和輝アナウンサーから「女王様だった」と言われていて、詳しいことはわかっていませんが、みんな頭が上がらないような存在だったのではないかと思われます。
海外10ヶ国以上を旅した
弘中綾香は大学時代に海外をなんと10ヶ国以上旅行していて、英語はそれほど得意では無かったものの、楽しい時間を過ごしています。
このときはヨーロッパや南米を中心に旅行していて、トルコのカッパドキアやボリビアのウユニ塩湖なども訪れているようです。
色々なバイトを経験し、人気の家庭教師に
弘中綾香は高校時代から様々なアルバイトを経験していて、大学時代もそれは変わらず、ファーストフード店やお花屋さん、アパレルなどを経験。
中でも家庭教師をしていたときには「時給4000円」だったことを明かしていて、当時はかなりの人気家庭教師だったようです。
人気家庭教師になれた理由については「すっごい厳しい家庭教師でした」と語っていて、合格率が高い先生でしたが、厳しすぎて辞めてしまう生徒もいたのだそうです。
合コンで顔を見ただけで帰らされたことも
弘中綾香は大学時代に男友達から合コンに誘われ、友達と一緒に合コン場所まで行ったことがあったのだとか。
このときは男友達が普段から仲良くしている先輩社長が来ていたようで、そのままVIPルームへ招かれることに。
ですが、その先輩社長は彼女の顔を見た途端「もう帰っていいよ」と言われてしまい、「私は一生覚えてます!」と悔しい思いをしたことを明かしていました。
まとめ
弘中綾香は子供の頃から勉強に励んで慶應義塾中等部に入学し、中学では暗い時期を過ごしたものの、高校では一転して積極的な女の子に。
大学では部活や海外旅行、バイトと忙しい日々を送り、合コンでは屈辱的な経験もしています。
これからも彼女の活動をみんなで応援してあげましょう。