モデルやタレントとして人気のダレノガレ明美。
彼女は学生時代にソフトボール部だったことがわかっていて、その実力は全国屈指のレベルだったようです。
彼女は当時ソフトボール部でどういった活躍を見せていたのでしょうか?
今回はダレノガレ明美のソフトボール部時代をまとめてみました。
ダレノガレ明美のプロフィール
名前:福住・ダイアナ・明美・ダレノガレ(ふくずみ・だいあな・あけみ・だれのがれ)
生年月日:1990年7月16日
出身地:ブラジル
身長:161㎝
血液型:B型
職業:モデル、タレント
ダレノガレ明美のソフトボール部時代がすごい!4番でキャッチャーで強豪校からもお誘いがあった?
ダレノガレ明美は中学時代にソフトボール部に所属していたようで、当時はかなりすごい選手だったようです。
そのため、将来も期待されていたようで、すごい人とも会っていたようです。
4番でキャッチャー
ダレノガレ明美はソフトボール部時代に4番でキャッチャーを務めていたようで、チームでは一番の打者だったようです。
そのため、チームメイトや顧問の先生からの信頼は厚く、彼女も当時はかなり本気でソフトボールに取り組んでいたようです。
全国大会で3位に
ダレノガレ明美は中学時代に全国大会に出場したことがあり、このときはなんと「2本塁打」を放つなど、強打者としての素質も見せつけています。
さらに全国大会前には気合いを入れて「スポーツ刈り」にしたことも明かしていて、女の子ながらソフトボールにかける想いは並々ならぬものがあったようです。
ちなみに結果は「全国3位」という素晴らしい成績も残していて、将来も期待されていたのだとか。
強豪校からのお誘いも
ダレノガレ明美はソフトボールで全国3位の実績を残したあと、強豪校からのお誘いがあったようで、このときの高校名は明かされていませんが、「全国1位、2位を競う高校」だと語られています。
このときは「彼女は将来必ずすごい選手になる」と言われていたようで、本人もそのつもりでヤル気に満ち溢れていたようです。
元日本代表監督・宇津木妙子に会ったことも
ダレノガレ明美はソフトボール部時代に女子ソフトボール日本代表の元監督・宇津木妙子に会ったことがあるのだそうです。
このときどういった会話をしたのかはわかりませんが、おそらく将来有望な選手として視察に来たのではないかと思われます。
それだけの人物からも注目されるほどの逸材だった彼女は、ソフトボールを辞めてなかったらすごいことになっていたのではないかと思われます。
ダレノガレ明美がソフトボールを辞めた理由は?当時は苦しいことも多かった?
ダレノガレ明美はソフトボール部時代に圧倒的な実力で全国3位になるなど、素晴らしい選手だったようですが、なんとソフトボールは中学で辞めています。
ただ、本人は後悔していることもあり、当時は彼女なりに苦しいこともあったようです。
ダレノガレ明美は小学校・中学とカツラを被っていた
ダレノガレ明美は「小学校と中学時代は病気で髪の毛が無かった」と語っていて、当時はカツラを使用していたのだとか。
さらに彼女はハーフということもあり、学校の男子からはいじられることが多く、とても苦しんでいたのだそうです。
ちなみに中学でも自身の髪の毛や容姿をいじられることは多く、「もう無理・・・」となったところ、ソフトボール部の先生が励ましてくれ、なんとか頑張ることができたのだそうです。
ソフトボールを辞めた理由は恩師
ダレノガレ明美はソフトボールを注目を集めたあと、強豪校からのお誘いがあったものの、自身が苦しいときに励ましてくれた恩師の先生が転任してしまい、それがきっかけで完全にソフトボールのヤル気を無くしてしまったのだそうです。
これはそれだけ恩師の先生の存在が大きかったからだと思われ、ソフトボールへの意欲を無くしたあとは、お誘いがあった高校を無断で断り、別の高校へ進学してしまったのだそうです。
ソフトボールを辞めた後悔も強かった
ダレノガレ明美はソフトボールで全国でも屈指の選手でしたが、中学で辞めてしまったことに後悔があったのだそうです。
また、それと同時に育ててくれた恩師に対して「申し訳ない」という気持ちも強く、過去には出演したテレビ番組の中で恩師と8年ぶりに再開して謝罪していました。
まとめ
ダレノガレ明美は中学時代にソフトボール部に所属し、当時は4番でキャッチャーを務め、全国大会で3位にまでなっています。
ですが、その後は恩師の先生が転任してしまったことを機に辞めてしまい、後悔の念も強かったのだそうです。
これからも彼女の活動をみんなで応援してあげましょう。