昔はアイドルとして活動していたミキティこと藤本美貴。
彼女はデビュー当時から人気が高く、アイドル時代にはモーニング娘。のメンバーとしても活躍しています。
一体、昔の彼女はどういったアイドルだったのでしょうか?
今回はミキティ(藤本美貴)の昔の活動についてまとめてみました。
ミキティ(藤本美貴)のプロフィール
名前:庄司 美貴(しょうじ みき)
生年月日:1985年2月26日
出身地:北海道
身長:156㎝
血液型:A型
職業:元アイドル、歌手、タレント、YouTuber
昔のミキティ(藤本美貴)はどんなアイドルだった?デビュー当時からアイドル時代を振り返る
昔はアイドルとして活動していたミキティ(藤本美貴)。彼女はデビュー当時から非常に高い人気を誇っていて、妻となり、母親となった現在もその人気は衰えていません。
アイドル時代の彼女は一体どういった活動をしていたのでしょうか?
昔のミキティ(藤本美貴)①~幼少期の頃からデビュー前まで
昔のミキティ(藤本美貴)はかなり早い段階から歌手への憧れは強く、デビュー前にはハロプロとは別のオーディションも受けています。
デビュー前の彼女はどういった女の子だったのでしょうか?
幼少期の頃は演歌歌手になりたかった
ミキティ(藤本美貴)は幼少期の頃、祖母が演歌好きということもあり、それを聴いて育った彼女は演歌好きな女の子になります。
その後はカラオケなどで演歌を歌えばみんなから「上手いね」と言ってもらえることが多く、気が付けば「将来は演歌歌手になりたい」と思うようになったのだそうです。
小学5年生から安室奈美恵に憧れた
ミキティ(藤本美貴)は小学5年生の頃に当時「安室奈美恵 with SUPER MONKEY’S」をテレビで見て、安室奈美恵に強い憧れを抱くようになります。
当時は安室奈美恵などが出演していた歌番組「夜もヒッパレ」をいつも楽しみに見ていて、「見たい、聴きたい、歌いタイ!」というフレーズを真似していたのだそうです。
小学6年生の頃に子役オーディションに合格
ミキティ(藤本美貴)は安室奈美恵に憧れてから「芸能界に入りたい」という思いが強くなり、小学6年生の頃に旭川であった子役オーディションに参加。
ここで彼女は「目が凄く、綺麗ね」と絶賛されて合格したものの、結局レッスンに通うことはできず、芸能界デビューすることはありませんでした。
中学3年生の頃に小室ファミリーのオーディションに参加しファイナリストへ
ミキティ(藤本美貴)は中学2年生の頃に札幌で小室ファミリーのオーディションがあることを知り、憧れの安室奈美恵に近づけると感じてオーディションへ参加することに。
このときは書類審査に合格し、その後に札幌で行われたオーディションにも合格。
札幌でのオーディションが終わったあとは東京でのオーディションに参加し、ここでもなんと合格してファイナリストになってしまいます。
このオーディションでは写真撮影から歌、ダンスなど、色々と披露したものの、最終的に落ちてしまい、デビューを掴むことはできませんでした。
ちなみにこのオーディションの準グランプリは倖田來未でした。
モーニング娘。のオーディションに参加して落選するもレッスン生に
ミキティ(藤本美貴)は小室ファミリーのオーディションに落ちたあと、当時すでに人気アイドルグループだった「モーニング娘。」のオーディションを見つけます。
当初は「私はアイドルじゃなくて歌手がやりたい」と考えていましたが、姉から「安室ちゃんだって最初からソロだったわけじゃない」と言われ、モーニング娘。のオーディションを受けることに。
このときは順調にオーディションを勝ち進み、最終の合宿まで参加するも落選してしまいます。
ですが、オーディションに落ちた彼女の元にモーニング娘。の事務所「アップフロント」から突然自宅に電話が入り、「ソロでやりたいからレッスン受けてみない?」と言われ、ソロデビュー前提でレッスン生になることが決まりました。
昔のミキティ(藤本美貴)②~デビュー当時の活動
昔のミキティ(藤本美貴)は早くから歌手になりたいと夢見て、その後は安室奈美恵に憧れてオーディションを受ける日々を送り、最終的にソロデビュー前提でレッスン生になりました。
一体デビュー当時の彼女はどういった活動をしていたのでしょうか?
当初はカントリー娘。に入ることも打診されていた
ミキティ(藤本美貴)はアプロフロントのレッスン生になったあと、事務所から「一瞬カントリー娘。でやってみませんか?」と打診されたことがあったのだとか。
ですが、このときは電話を受けたのが彼女の母親で、「娘はソロ歌手を目指しているから」というのをわかっていたため、勝手に断ってしまったのだそうです。
高校を休学して東京でレッスンを送り、事務所スタッフとしても働いた
ミキティ(藤本美貴)はレッスン生になったあとはせっかく高校に上がったばかりでしたが、休学と言う形を取り、単身東京へ行くことに。
レッスン生になってからはレッスン以外にやることがなく、何と事務所の会長室でスタッフのひとりとして働いていたのだそうです。
当時の彼女は「いつデビューできるんだろう」というのをいつも考えていたようで、事務所では毎日朝8時から夕方17時まで働いていました。
「会えない長い日曜日」でデビュー
ミキティ(藤本美貴)は下積み生活を続けたあと、2001年に深夜のミニ番組「新・美少女日記」で芸能界デビューを果たします。
そして、翌年の2002年1月にはハロプロのコンサートに出演し、歌手として初めてステージで歌を披露。
同年3月にはシングル「会えない長い日曜日」で無事ソロ歌手デビューを果たし、念願だった歌手活動がスタートしました。
デビュー当時から怒涛の活躍を見せ、「ごまっとう」も結成
ミキティ(藤本美貴)はデビュー当時からかなりハードな日々を送っていたようで、なんとレッスンやレコーディングが朝まで続くことが多く、毎日の睡眠時間はとても短かったのだとか。
その反面、アイドル歌手としての人気はデビュー当時から非常に高く、2002年11月には後藤真希、松浦亜弥の3人でアイドルユニット「ごまっとう」を結成。
年末にはNHK紅白歌合戦に出場し、紅組のトップバッターを務めるなど、デビュー当時から圧倒的な活躍を見せました。
昔のミキティ(藤本美貴)③~アイドル時代の活動
昔からミキティ(藤本美貴)の人気は非常に高く、デビュー当時から圧倒的な活躍を見せていましたが、その後はソロだけでなくモーニング娘。のメンバーとしても活動しています。
アイドル時代は一体どういった活動をしていたのでしょうか?
つんく♂から直々に指名されモーニング娘。のメンバーに
ミキティ(藤本美貴)は歌手デビューした2002年は大活躍の年に終わり、翌年からもより一層頑張ることを誓った矢先、プロデューサーであるつんく♂から直々にモーニング娘。の加入を打診されます。
彼女はその言葉に「わかりました」と答え、2003年1月からモーニング娘。の6期生としての活動がスタートしました。
このときは「つんく♂さんから下されたものは絶対」という考えでモーニング娘。入りを決心していて、当時から「機会を与えてもらったらあとは上がるだけ」という考え方を大切にしているのだそうです。
アイドル時代は幅広い活躍を見せた
ミキティ(藤本美貴)はアイドル時代は破竹の勢いで活動していて、ソロ活動にモーニング娘。の活動。さらにハロプロのフットサルチーム「Gatas Brilhantes H.P.」に加入するなど、休む暇も無いほど忙しい日々を送っていました。
2005年にはモーニング娘。のサブリーダーに昇格してメンバーをけん引し、その翌年には松浦亜弥とのユニット「GAM」も結成。
デビュー当初からモーニング娘。への加入、そしてアイドル時代の全盛期を含め、一度もその活動が衰えることはありませんでした。
モーニング娘。のリーダーになるも庄司智春とのデートが報じられ脱退
ミキティ(藤本美貴)は2007年1月にモーニング娘。のリーダーに抜擢され、その後も破竹の勢いで活動を続けていました。
そんな矢先、同年5月に週刊誌「FRIDAY」からお笑いコンビ「品川庄司」の庄司智春とデートしていたことが報じられ話題になります。
この熱愛報道によって彼女は同年6月にモーニング娘。を脱退することを自ら申し出、その後のコンサートツアーではファンに対して脱退を報告。
これにより彼女のアイドル人生は幕を閉じました。
まとめ
昔のミキティ(藤本美貴)は当時からかなり積極的な女の子で、自分のやりたいことに忠実で、中学生からオーディションを受け、歌手デビューをつかみ取りました。
アイドル時代にはモーニング娘。のメンバーとしても活動し、現在の旦那・庄司智春との熱愛が報じられるまでは圧倒的な存在感でグループをけん引してきました。
これからも彼女の活動をみんなで応援してあげましょう。