趣里はバレエの実力がすごい!イギリスのバレエ学校へ留学し、プロを目指していた?

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女優として活躍している趣里はバレエの経験者。

当時はイギリスのバレエ学校へ留学したこともあり、本気でプロのバレリーナを目指していたようです。

そんな彼女は一体なぜ女優の道へ進んだのでしょうか?

今回は趣里のバレエの実力をまとめてみました。

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趣里のプロフィール

名前:水谷 趣里(みずたに しゅり)

生年月日:1990年9月21日

出身地:東京都

身長:158㎝

血液型:O型

職業:女優、歌手

趣里はバレエの実力がすごい!イギリスのバレエ学校へ留学もしていた?

趣里はバレエ経験者の女優として知られていて、現在でも体は柔らかく、バレエの動きを披露することもあります。

バレエを習っていた頃は本気で打ち込んでいたようで、当時はプロを目指していたこともわかっています。

趣里のバレエの実力がすごい!コンクールの実績は?

趣里は10年以上クラシックバレエの経験があり、その実力はかなりのものだったようで、当時は本気でプロのバレリーナを目指していました。

小学生の頃には所属していたバレエ団の「くるみ割り人形」で主役を演じたこともあり、この経験からプロを目指すようになったのだとか。

これ以降はバレエ一色の生活を送っていたようで、海外のバレエ学校へ進学することを決意します。

趣里のバレエの実力について具体的な情報は無く、コンクールの実績などもわかっていませんが、海外の学校へ留学していたことを考えると、ある一定以上のレベルには達していたことがうかがえます。

イギリスのバレエ学校へ留学したことも

趣里は高校進学のタイミングでイギリスにあるバレエ学校「アーツ・エデュケーション・スクール」へ留学しています。

この学校は舞台芸術を中心に学べる学校で、午前中に授業を受け、午後はバレエのレッスンを行うという日々を送っていました。

当初は英語が話せず苦労も多かったようですが、辞書を片手に同級生と会話を行ううち、自然と日常会話程度の英語は話せるようになりました。

イギリス留学時にはホームシックになった

趣里はイギリスへ留学した当初、英語もろくに話せなかったため、すぐにホームシックになったようで、当時は毎日のように両親へ電話していたのだそうです。

その結果、国際電話だったこともあり、電話料金はかなりの金額になったようです。

ホームシックになった理由は慣れない環境と合わせてレッスンがハードだったことも要因で、異国の地でひとりで過ごすのは精神的な成長にもつながったのではないかと思われます。

趣里がバレエを始めたきっかけは何?

趣里がバレエを始めたきっかけは「友達からの誘い」です。

彼女は4歳だった当時、仲の良かった友達がバレエを習っていて、誘われる形で「井上バレエ団」に入団します。

ですが、誘った友達は早くに辞めてしまい、その後はいやいやながらもバレエを続けていたのだそうです。

趣里がバレエを辞めた理由はケガ?女優になったきっかけは?

プロのバレリーナを目指していた趣里ですが、なぜバレエを辞めてしまったのでしょうか?

それには「ケガ」が原因だったようで、その後に女優に転身しました。

趣里がバレエを辞めた理由はケガ

趣里はイギリスのバレエ学校へ留学していた2年目のレッスン中に突然の大けがに見舞われます。

最初は彼女も何が起きたのかわからなかったようですが、病院での診断結果は「アキレス腱断裂」と「足首剥離骨折」でした。

このケガが原因で帰国せざるを得ない状況になり、日本へ帰ってからはリハビリを続ける毎日を送ります。

大学在学中にバレエの道を諦めた

趣里は帰国後は高卒認定試験を受けて大学へと進学。

その後も熱心なリハビリを続けていましたが、医師から「前みたいに踊れない」と告げられ、ついにバレエの道を断念することになります。

当時は「これからどうしたいいんだろう」と絶望を感じていたようで、極限の精神状態の中で日々の生活を送っていました。

趣里が女優を目指したきっかけは?

趣里はバレエを辞めたあとは精神的にキツイ日々を送っていたようですが、その一方で大学では演劇の歴史や表現を学んでいて、その流れで面白半分で演技学校のレッスンを受けるようになります。

演技学校でのレッスンはハードだったようですが、次第にその面白さに目覚め、「女優」という新たな目的を見つけます。

ちなみにこの演技学校は俳優で映画監督の塩屋俊が主宰していたもので、彼の後押しも女優としての道へ進むことを決意させました。

二世という葛藤もあった

趣里は父親が俳優の水谷豊母親が元キャンディーズの伊藤蘭ということもあり、どうしても「二世」と呼ばれることに強い葛藤もあったのだとか。

当時は「生半可な覚悟でできない」と考えていたようですが、演技学校の塩屋俊から「お前は大丈夫だから頑張れ」と背中を押してもらったのだそうです。

その後は「親に頼らない」という信条を胸に「エイベックス・マネジメント」に所属し、オーディションを受けてドラマ「金八先生」にて女優デビューを果たしました。

まとめ

趣里は元々はプロのバレリーナを目指していて、当時はイギリスの学校へ留学するなど、かなり本格的にバレエを学んでいたようです。

ですが、彼女にアキレス腱断裂、足首剥離骨折という悲劇が遅い、その後はバレエの道を諦め、女優の道で大きな成功を収めています。

これからも彼女の活動をみんなで応援してあげましょう。

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