タレントとして大きな人気を獲得しているマツコ・デラックス。
今では多くのテレビ番組でMCを務め、不動の地位を築いていますが、若い頃はどういった活動をしていたのでしょうか?
今回はマツコ・デラックスの若い頃をまとめてみました。
マツコ・デラックスのプロフィール
名前:松井 貴博(まつい たかひろ)
生年月日:1972年10月26日
出身地:千葉県
身長:178㎝
血液型:A型
職業:コラムニスト、タレント、司会者
マツコ・デラックスの若い頃!早くからゲイだと気付き、高校から女装をスタート
マツコ・デラックスが女装を始めたのは今よりもだいぶ若い頃のようで、10代の頃にはすでに女装して街へ繰り出していました。
また、若い頃は芸能活動を行っておらず、紆余曲折を経て現在のマツコ・デラックスが誕生しました。
小学生の頃から自分のゲイであることに気付くも、ドライな子供だった
マツコ・デラックスは小学生の頃からすでに自分がゲイであることに気付いていたようで、幼い頃から従兄弟に惹かれるなど、自分が好きになる相手は男の子ばかりだったようです。
小学3年生になった頃には母親の口紅を塗るようになり、学芸会で女装を披露したこともありました。
その一方で当時は「超ドライだった」とも語っていて、小学5年生の頃には「つまらない」と感じて登校拒否になったこともあったのだとか。
中学時代はオネエ言葉を話し、中森明菜にのめり込んだ
マツコ・デラックスは中学にあがるとオネエ言葉を話すようになり、周囲からは面白がられ、誰もゲイだとは思っていなかったようです。
また、この頃は歌手の中森明菜にハマり、彼女のヒット曲はすべての振り付けを覚え、完璧に踊れるまでになっていたことも明かされています。
高校3年生の頃に女装をスタート
マツコ・デラックスは高校生の頃に資生堂の雑誌「春椿」を見てメイクやファッションに興味を持つようになり、「女装したい」という思いが強まります。
その結果、趣味という形で女装を行うようになり、当初はコンビニのトイレで着替え、そのままクラブに遊びに行っていたのだそうです。
クラブではとても目立つ存在だったようで、次第に「ステージに上がってよ」と声を掛けられるようになり、「商売みたいになってきた」と女装家としての原点についても明かされています。
ちなみに高校ではキムタクこと木村拓哉と同じ学校の同級生で、一緒に屋上で授業をサボったこともあったようです。
高校卒業後は美容師を目指して美容専門学校に
マツコ・デラックスは高校を卒業したあと、美容師を目指して美容専門学校に進んでいます。
学校では美容師免許も取得していて、卒業後には実際に美容院で働いた経験もあるようです。
ただ、自分の将来に違和感のようなものを感じ、美容師としての活動はすぐに辞めてしまったのだとか。
マツコ・デラックスは昔出版社で働いていた?引きこもりも経験した
マツコ・デラックスは若い頃から自分のことをとてもよく理解していたようで、美容師を辞めたあとは出版会社で働いていました。
ですが、その後は引きこもりも経験していて、苦しい時期もあったようです。
昔は出版社でゲイ雑誌を担当していた
マツコ・デラックスはその昔、出版社でゲイ雑誌を担当していたことがあり、当時は記者から編集まで行っていました。
この頃は「松風」という名前で活動していたこともわかっていて、雑誌で紹介されることもあったようです。
この雑誌には5年間勤めたようですが、最終的に人間関係がきっかけとなり、退社してしまいました。
実家で2年引きこもりになった
マツコ・デラックスは出版社を辞めたあと、実家で引きこもるようになり、当時はかなり苦しい精神状態だったようです。
当時は部屋の雨戸は閉めっぱなしで、大音量でCoccoの「強く儚い者たち」を聴いていたこともわかっています。
出版社の同僚たちからも心配する連絡がたびたび入っていたようですが、「生きてるの?」というメールに対し、「ダメ」とだけ返すこともあったのだとか。
実家を出ていくよう言われ、フリーのライターとして活動を再開
マツコ・デラックスは実家で両親が引っ越しをする際、「次の家にあんたの部屋はないんだから、出ていきなさい」と言われたことを明かしています。
このときは「仕方ない」と感じて古いアパートに移り、一人暮らしがスタート。
ここからはフリーのライターとして活動を始めるようになり、人生の再起をはかるようになりました。
中村うさぎと出会い、人生に変化が
マツコ・デラックスはその後、雑誌で働いていた頃の活動がエッセイストの中村うさぎの目に留まり、彼女から対談を申し込まれます。
これはマツコ・デラックスを知った彼女が「みんなにマツコを知ってもらいたい」という思いからオファーをしたもので、このときは対談だけでなく、本を書くことまで勧めたのだそうです。
実際にマツコ・デラックスは彼女のこのオファーから「アタシがマツコ・デラックス!」という写真とエッセイで構成された本まで出版していて、人生に大きな変化が起き始めました。
ミッツ・マングローブと全国を営業で回ったことも
マツコ・デラックスは実家を出たあとはライターとして活動していましたが、それだけでは食べていけず、新宿2丁目などでも活動していたのだそうです。
このとき出会ったのが同じ女装家として有名なミッツ・マングローブであり、最初の出会いは先輩だったマツコにミッツからあいさつしようすると、「そういうのいいから」とあしらわれたことが明かされています。
その後は意気投合し、女装家として全国各地の飛び回り、クラブなどを中心に営業を行っていたのだそうです。
そのため、当時からすでにマツコ・デラックスとミッツ・マングローブの名はその界隈では有名で、テレビに出る前からかなり人気は高かったようです。
テレビにも出演するようになった
マツコ・デラックスは2000年の頃に「エブナイ」という番組に出演し、初めてテレビに登場しました。
当時からすでにインパクトが強かったこともあり、次第にテレビからもオファーがかかるように。
その後は2005年に「5時に夢中!」へ代役として出演したところ人気が高まり、継続的に出演するようになり、現在の人気タレントとしての道を歩み始めました。
まとめ
マツコ・デラックスは若い頃から自身がゲイであることを悟り、高校生の頃から女装を行っていました。
ただ、現在の活躍に至るまでは苦労もあり、昔は色々と大変だったようです。
これからもマツコ・デラックスの活動をみんなで応援してあげましょう。