現役東大大学院生として知られている神谷明采。その圧倒的な美貌とスタイル、さらに知性から非常に高い人気を集めていますが、じつは彼女は浪人を経験しています。
それには彼女なりの理由があり、今では東大の大学院にまで進んでいます。
今回は神谷明采の浪人の話題や慶應好きな父親、これまでの経歴をまとめてみました。
神谷明采のプロフィール
名前:神谷 明采(かみや あさ)
生年月日:2000年4月19日
出身地:埼玉県
身長:161㎝
職業:グラビアアイドル、タレント、YouTuber、会社経営者
神谷明采は浪人して東大入り!その理由とは?
神谷明采は現在東大の大学院に通っていることがわかっていますが、じつは高校卒業後の進路では受験に失敗していて、浪人を経験していることを明かしています。
その理由については彼女は「自分に言い訳ばかりしてたから」と語っていて、その理由について赤裸々に明かしています。
神谷明采は大学受験に失敗し、浪人していた
神谷明采は高校時代に進路で大学受験に失敗していて、東大へは現役合格となっていません。
その後は浪人することを決め、改めて東大入りを目指して「駿台予備学校」のお茶の水3号館へ通い始めます。
彼女が通っていた予備校は東大入りを目指す人たちが集まっていることでも有名で、当時彼女がどれだけ本気で東大入りを目指していたのかが伺えます。
ちなみに現役では東大以外に「早稲田」、「慶應」、「一橋」を受けてすべて落ちています。
神谷明采が浪人した理由は何?
神谷明采は自身が浪人していたことを明かしていますが、その理由については「自分に言い訳ばかりしていたから」だとしています。
じつは当時の彼女は落ちた原因を「ミスをしたから」と考えていて、その後に「ミスしても受かるような成績まで伸ばす」ということに気付き、勉強への取り組み方が変わったのだそうです。
そうすることで彼女は効率よく点数を取る勉強を行うようになり、その結果、見事東大入りを果たしました。
彼女は自身の落ちた原因をひとつの方向からだけでなく、別の方向から見れたことで受験に成功していて、国内最難関の大学に入学しています。
これは受験だけでなく、どんなことにも当てはめることができ、彼女はそのことに早く気付けたこともあり、現在のような活躍ができるようになったのだと思われます。
神谷明采が東大を目指したきっかけは?
神谷明采が東大を目指したきっかけは彼女が高校1年生の頃に訪れた「東大の駒場祭」です。
じつはそれまでの彼女は東大に対して「東大生は地味」だと思っていたようで、それが実際に東大を訪れてみると、キャンパス内の雰囲気はとても明るかったのだとか。
そこから東大へのイメージはガラリと変わり、友人からも「一緒に東大を目指そうよ」と言われ、高校1年生の頃から東大を目指した勉強を始めました。
浪人した経験は彼女の人生に大いに役立っている
神谷明采は現役で受験したすべての大学に落ち、その後は浪人を経験していますが、現在はその時の経験が多いに役立っているようです。
それは彼女の活躍を見れば明らかで、東大では「ミス東大」と「ミスキャンパスグランプリ」に選ばれ、その後はグラビアを始め、モデルやタレント、さらには自ら「株式会社SASA」という会社も立ち上げています。
現在は東大の大学院生となっていて、さらなる勉強を続けています。
また、自身の浪人としての経験は数多くのメディアで語られていて、それは今まさに苦しんでいる受験生や浪人生たちの心の支えになっています。
彼女はそれまでの自分を「失敗ばかり」と語っていて、「自分が大嫌いな時期もあった」としているため、そうした経験を重ねたからこそ今の彼女の人生があるのだと感じさせられます。
神谷明采の父親は慶應好き!子供の頃から慶應を目指して勉強させられていた?
神谷明采は浪人を経て東大へ入っていますが、じつはそんな彼女の父親は過去に「慶應義塾大学」へ通っていて、昔から慶應好きな人物だったのだとか。
そのため、子供の頃から慶應を目指して勉強をさせられていたようで、そんな父親との関係はどういったものだったのでしょうか?
神谷明采の父親は慶應好き
神谷明采の父親は昔から「慶應」好きな人物だったようで、彼女がまだ幼い頃から慶應のキャンパスに連れて行かれていたのだそうです。
そのため、当時から彼女は父親から「慶應に行ってな」と言われることが多く、早くから学歴というものを意識していたようです。
これは父親が慶應出身だったことが要因のようで、卒業生として自分の子供たちにも同じ学校へ通ってもらいたかったのだとか。
自宅では「学歴」という雰囲気が強かった
神谷明采は父親がかなりの慶應好きということもあり、自宅では「学歴」という雰囲気がとても強かったのだそうです。
また、彼女の母親は短大卒であり、そんな父親の存在もあって「学歴コンプレックス」を抱えていたことも明かされています。
こうしたことから彼女は早くから勉強と向き合う日々を送っていて、父親からの期待も強かったようです。
父親から勉強を教わるも喧嘩が絶えず塾へ
神谷明采は小学校の低学年になった頃から父親が教材を取り寄せてマンツーマンでの勉強を行うようになりましたが、父親とは喧嘩が絶えず、勉強にならなかったのだそうです。
その結果、彼女は塾に通うことになり、父親との勉強から解放されたのだとか。
ちなみに彼女は姉と妹がひとりずついて、姉妹は全員父親とのマンツーマンの勉強を行っていましたが、姉妹全員がキツイ性格ということもあり、すぐに父親の手には負えなくなってしまい、全員塾に通っていたようです。
中学受験は父親の要望通り「慶應」を受けていた
神谷明采は小学校の頃に中学受験をしていて、このときは父親の要望通り「慶應」を受験しています。
その他にも早稲田の付属中学も受験していたようですが、どちらも受験に失敗していて、このときは「大学で早稲田に行けばいいや」と父親への反抗心から早稲田を志望するようになりました。
ちなみに彼女が進学した中学は埼玉県内にある名門校「浦和明の星女子中学校」です。
神谷明采の父親はどんな人なの?
神谷明采の父親については詳しい情報はなく、「慶應卒の一般人」ということしかわかっていません。
ただ、慶應卒で娘全員が私立校に通っていることを考えると、会社経営者やエリート会社員なのではないかと思われます。
神谷明采のこれまでの経歴!現在の活動も紹介
神谷明采の経歴はとても華々しいものであり、浪人などは全く気にならないほど素晴らしい人生を歩んでいます。
もちろん本人も色々と大変なことはあったと思われますが、現在の活動も含めてとても魅力的な女性であることに変わりはありません。
神谷明采の経歴①~幼少期からバレエをはじめ、小学校から勉強が得意だった
神谷明采は3歳の頃からバレエを習っていたことを明かしていて、バレエはその後も中学・高校まで続けています。
また、先ほども紹介したとおり、父親が慶應好きということもあり、小学校から勉強に取り組むようになります。
ただ、彼女は姉妹の中で一番勉強が得意だったこともあり、特別勉強がイヤだと感じたことは無かったのだとか。
神谷明采の経歴②~中学・高校は「浦和明の星女子」に通った
神谷明采は中学からは私立校の「浦和明の星女子」に通い、当時は勉強と並行として「新体操部」に入り、新体操にも夢中になって取り組んでいます。
高校はそのまま内部進学で進み、高校でも新体操部に入部しますが、2年生のときに部長を務めたものの引退しています。
部活を引退したあとは勉強に取り組むようになり、この頃には東大を視野に入れて頑張っていたようです。
神谷明采の経歴③~浪人して東大へ入学し、ミス東大に
神谷明采は浪人して東大へ入ったあと、1年生のときにミス東大に選ばれます。
さらにその後は「ミスキャンパス」のグランプリにも選ばれ、注目の女子大生として話題を集めました。
ちなみに大学入学時はコロナ禍だったようですが、彼女にとってはそんなことは問題にならず、果敢にミス東大へ出場して栄冠を勝ち取っています。
神谷明采の経歴④~現役女子大生で芸能界デビュー
神谷明采はミス東大やミスキャンパスに選ばれ、その勢いのまま今度は芸能事務所「古舘プロジェクト」への所属が決まり、そのまま芸能界デビューを果たしています。
芸能界入りをしてからはグラビアやモデル、タレントとして活動を行い、すぐに大きな人気を集めるようになりました。
現役の東大生でありながら芸能活動も行い、留年せずにしっかり卒業までしているのは一度浪人を経験したからかもしれません。
神谷明采の経歴④~会社を設立
神谷明采は東大入学後に「株式会社SASA」という会社を立ち上げていて、こちらは彼女が代表取締役を務めています。
彼女がこの会社を立ち上げた理由は「どんな人にもスイーツを食べる喜びを感じてほしいから」というもので、起業後は人気パティシエ向井聡美とコラボし、「Cochon Charmant(コション シャルマン)」というスイーツブランドを立ち上げています。
じつは彼女は妹が「一型糖尿病」を患っているようで、糖質制限の過酷さをよく知っているからこそ、会社の設立につながったのだそうです。
神谷明采の現在の活動は?
神谷明采は現在芸能活動や会社経営が主な活動となっていて、2024年には無事に東大も卒業しています。
さらにその後は東大の大学院に進んでいて、現在は「公共政策学連携研究部・公共政策学教育部」に在籍しています。
この大学院での学びも今後の活動に活かされると思われ、これからの彼女の進化には要注目です。
まとめ
神谷明采は一度は浪人を経験し、そこからもう一度勉強をやり直して見事東大へ入学。
その後はミス東大や芸能界入り、会社の立ち上げなど様々な活動を見せていて、現在は東大の大学院生となっています。
これからも彼女の活動をみんなで応援してあげましょう。