俳優として長年第一線での活躍を続けている柳楽優弥。
その幅広い演技力は非常に高い評価を得ていますが、過去には「天才」と呼ばれた子役時代がありました。
その後は苦悩の時期も経験していて、そうしたものから現在の彼は形作られています。
今回は柳楽優弥の子役時代と当時の代表作、苦悩の時期についてまとめてみました。
柳楽優弥のプロフィール
名前:柳楽 優弥(やぎら ゆうや)
生年月日:1990年3月26日
出身地:東京都
身長:174㎝
血液型:A型
職業:俳優
柳楽優弥の天才と呼ばれた子役時代!当時のライバルは三浦春馬
柳楽優弥は現在も人気俳優のひとりとして見ない日は無いほどの活躍を見せていますが、過去には「天才」と呼ばれた子役時代があり、芸歴は非常に長いこともわかっています。
また、当時からのライバルには俳優の三浦春馬の名前を挙げていて、互いに切磋琢磨しながら成長を続けていました。
柳楽優弥が芸能界入りをしたのは中学1年生の頃
柳楽優弥が芸能界入りをしたのはまだ13歳だった中学1年生の頃。
彼はある日、芸能事務所に所属していた同級生が出ていたドラマを友達みんなで集まって見たことがあり、このときはかなり盛り上がったようで、そこから「これだ!」と感じて母親にすぐに芸能界に入りたいことを相談したのだそうです。
その結果、彼は芸能事務所「スターダストプロモーション」のオーディションに応募することとなり、芸能界入りを果たしました。
2003年から子役としてドラマに出演
柳楽優弥は芸能事務所の所属となった翌年である2003年から子役としての活動を開始。
当時はフジテレビ系のドラマ「クニミツの政」に坂上晋作役で出演していて、共演者には押尾学や伊東美咲、佐々木蔵之介などがいて、彼も主要登場人物のひとりを演じました。
2004年4月にはテレビ朝日系のドラマ「電池が切れるまで」に病院の院内学級の生徒のひとりを演じました。
ちなみに彼は同作品出演後にまだ公開前の映画「誰も知らない」に出演していて、その演技力が高い評価を集めたことで、無理やり彼のシーンが増やされたという逸話があります。
映画「誰も知らない」で天才子役と呼ばれるように
柳楽優弥は2004年8月公開の映画「誰も知らない」で映画デビューを飾っていて、このときは初主演ということもあり、大きな話題を集めました。
中でも注目なのは彼の演技力であり、カンヌ国際映画祭コンペティション部門にて当時14歳で史上最年少、そして日本人で初めて男優賞を受賞しました。
これは当時の日本の映画界としてはとてつもない衝撃であり、一躍柳楽優弥の名前は日本中に知られることとなり、「天才子役」と呼ばれるようになりました。
注目を集めたあとは映画での主演が続いた
柳楽優弥は映画「誰も知らない」で海外からも高い評価を得たことで、これ以降は映画への主演が続き、2005年に「星になった少年」、2006年に「シュガー&スパイス 風味絶佳」と立て続けに主演しています。
この間ドラマには出演しておらず、2007年にアニメ・オムニバス映画「ジーニアス・パーティ」に出演し、初めて声優も務めました。
当時の彼は映画界から引っ張りだこであり、相当に忙しい日々を送っていたことが伺えます。
子役時代からのライバルは三浦春馬
柳楽優弥は子役時代のライバルに人気俳優の三浦春馬の名前を挙げていて、なんと当時は「一言も喋らなかった」とかなりライバル視していたことを明かしています。
三浦春馬も早くから人気を集めるようになった子役で、柳楽優弥のひとつ上ではありますが、オーディションが一緒になると、「今日春馬くんいるからダメだわ」と参加者全員が諦めモードになるほどだったのだとか。
その後は進学した高校が三浦春馬と同じだったものの、普段からライバル視しすぎて当時は一言も喋らなかったのだそうです。
ちなみに大人になってからは映画「銀魂2」で共演していて、やっと普通に会話できるようになったようです。
柳楽優弥は子役時代に苦悩があった!仕事は減らし、病院へ入院も
柳楽優弥は子役時代に「天才」と呼ばれ、映画では主演ばかりを務めていましたが、その反面当時は非常に大きな苦悩があったようです。
これは「天才」と呼ばれ、周囲からの期待を集め続けた者にしかわからないもので、この頃は仕事を減らし、挙句の果てには病院へ入院までするほどでした。
「天才」と呼ばれ続けたことで超天狗に
柳楽優弥は初めての映画出演で主演を獲得し、カンヌ国際映画祭では日本人初めての快挙を成し遂げました。
そのおかげで自身に対する「天才」と称賛する声で彼はドンドンと天狗になり、最終的には「わがままで生意気」なだけの存在になってしまったのだそうです。
当時の彼は「やる意味がない」と言って仕事を断ることもあったようで、それによって周囲の大人たちに大変な迷惑をかけていたのだとか。
本人も当時の自分に対しては「ぶん殴ってやりたい」と語っています。
撮影は毎回とても怖かった
柳楽優弥は子役時代に「天才」と呼ばれ、周囲からの期待が大きく、そのおかげで毎回撮影は「怖かった」と語っています。
そのため、演じることに対しては自信が無く、さらに「自信がつくほどの努力をしていなかった」とも語っていて、天狗である一方で、その重圧には耐えかねていたのだそとか。
これは自分のはじめての映画作品で尋常ではないほどの注目を集めた者にしかわからない感覚で、人気者ゆえの悩みとも言えるでしょう。
体調を崩しがちになり、仕事は減っていった
柳楽優弥は2008年頃から徐々に体調を崩しがちになり、ここからテレビなど各メディアへの出演はグッと減っていきます。
当時は精神的に相当参っていたようで、とても仕事ができる状態でも無かったようです。
ちなみにこの頃の彼はまだ高校3年生で、天才子役から一変して演技をしない日を送ることになりました。
安定剤を大量に飲んで入院
柳楽優弥はその後、2008年8月29日に自宅で安定剤を大量に飲み、そのまま病院へ搬送されるというニュースが報じられました。
このことから以前からすでに精神科などへ通院していたことが伺え、早くからその苦悩は本人も感じていたようです。
入院した際には当日中に退院していて、本人はこの一件については「家族との口論がきっかけで自殺未遂ではない」と語っています。
ちなみにこの頃の彼はたくさんの人が自分に集まってきたものの、すぐに手のひらを返して去っていったことを明かしていて、人間不信で引退も考えたほどだったようです。
俳優業から遠ざかり、アルバイト生活を送った
柳楽優弥は高校を卒業したあと、飲食店でアルバイトを行うようになり、完全に俳優業からは離れて生活を送るようになります。
彼はこの頃に精神的に少しずつ安定していったと思われますが、当時は客から「柳楽?サインちょうだいよ~」と言われるなど、悔しい思いもいっぱいしたのだそうです。
ただし、この期間を経験したことで彼は再び表舞台に立つことを決め、これまで以上に俳優として注目を集めるようになりました。
19歳で豊田エリーと結婚
柳楽優弥は2010年1月に1歳上の女優・モデルである豊田エリーと結婚。
2人は同じ高校の先輩・後輩の関係で、彼の方から一目惚れで交際に発展し、4年の期間を経て結婚にいたりました。
この頃はまだアルバイトもしていたようですが、結婚した年に子供も生まれ、俳優として腹をくくる敷かなかったのだそうです。
この結婚から彼は俳優として再スタートを切ることとなり、現在の活躍へとつながっていきます。
2010年から俳優として再スタートを切った
柳楽優弥は2010年1月に結婚を発表し、同じ月に約2年ぶりに主演した映画「すべては海になる」が公開されます。
ここから彼は映画だけでなく、ドラマや舞台にも出演するようになり、真剣に俳優という仕事に向き合うことで色々と叩き直されたのだそうです。
ちなみに俳優復帰前は体重が「80㎏」もあり、家族のサポートも受けながら「20㎏」のダイエットにも成功したのだそうです。
柳楽優弥の子役時代の代表作
柳楽優弥の代表作と言えば映画デビュー作の「誰も知らない」。
この作品は是枝裕和監督の育児放棄の実話を基にしたもので、当時のキャッチコピーは「生きているのは、おとなだけですか。」です。
その内容はとても衝撃的なものとなっていて、大人に振り回され、それでも懸命に生きようとする子供たちの姿が描かれています。
柳楽優弥演じる福島明は弟や妹たちの面倒を見る兄であり、兄妹たちのため誰よりも頑張る姿は見ているこちらも胸が苦しくなるほどです。
この作品で彼の母親役を演じたのはタレントや女優などマルチな活躍で知られているYOUで、その後はCMや雑誌の対談でも共演するなど、今でも仲は良いようです。
ちなみに他の共演者には加瀬亮や遠藤憲一、寺島進などがいて、見ごたえのある作品として今も高い評価を得ています。
まとめ
柳楽優弥は子役時代にいきなり大きな注目を集め、その演技力はカンヌ国際映画祭でも高い評価を得ています。
その後は苦悩の時期もあり、相当に大変だったようですが、周囲のサポートもあって見事に復活しています。
これからも彼の活動をみんなで応援してあげましょう。