ホアキン・フェニックスの兄の死因は何?若い頃と現在の活動を調査

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映画「ジャーカー」などで知られているホアキン・フェニックス。

彼は兄が人気俳優リヴァー・フェニックスなのは有名ですが、彼の死因は何だったのでしょうか?

今回はホアキン・フェニックスの兄の死因と若い頃、現在の活動についてまとめてみました。

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ホアキン・フェニックスのプロフィール

名前:ホアキン・ラファエル・フェニックス

生年月日:1974年10月28日

出身地:アメリカ合衆国

身長:173㎝

職業:俳優

ホアキン・フェニックスの兄はリヴァー・フェニックス!死因は何?

ホアキン・フェニックスにはかつてリヴァー・フェニックスという兄がいました。

リヴァー・フェニックスは当時非常に人気が高い若手俳優であり、話題作への出演も多く、将来が期待されていました。

ですが、そんな超人気俳優は若くしてこの世を去っていて、今も彼のことを惜しむ声はあとを絶ちません。

兄リヴァー・フェニックスのプロフィール

名前:リヴァー・ジュード・フェニックス

生年月日:1970年8月23日

出身地:アメリカ合衆国

身長:178㎝

職業:俳優

ホアキン・フェニックスの兄は超人気俳優

ホアキン・フェニックスの兄リヴァー・フェニックスは1980年代から1990年代にかけて人気を誇った俳優のひとりで、1986年に出演した映画「スタンド・バイ・ミー」で注目を集めたことでも知られています。

その後は1989年に「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」、1991年の「マイ・プライベート・アイダホ」と立て続けに話題作に出演し、人気俳優の地位を若くして築きました。

映画「タイタニック」はリヴァー・フェニックスが主演の予定だった?

映画「タイタニック」と言えば、レオナルド・ディカプリオが主演を務め、当時世界中で大ヒットとなりましたが、じつはこの作品の主演の第一候補はホアキン・フェニックスの兄リヴァー・フェニックスでした。

これは監督のジェームズ・キャメロンが明かしたものであり、彼が若くして死去したことで、その後は主演を決める長期間のオーディションが始まったのだそうです。

ちなみに主演のレオナルド・ディカプリオはリヴァー・フェニックスの大ファンだったようで、「彼のような俳優になりたい」と憧れていたと語っています。

兄リヴァー・フェニックスの死因は何?

ホアキン・フェニックスの兄リヴァー・フェニックスは1993年10月31日23歳という若さでこの世を去りました。

彼の死因については「薬物の過剰摂取」であることがわかっていて、当時俳優のジョニー・デップが経営しているナイトクラブを訪れたところ入り口付近で突然倒れたのだそうです。

その後はすぐに病院へ運ばれたものの、心不全で死去してしまいました。

ちなみに死因になった薬物はヘロインとコカインだそうで、かなり若い頃から薬物を多用していたようです。

ホアキン・フェニックスの若い頃!子役時代や活動休止理由も紹介

ホアキン・フェニックスは映画「ジョーカー」での活躍は記憶に新しいですが、じつは非常に早くから演技の世界で活動していたことがわかっています。

また、若い頃には活動休止も経験していて、意外にも経験はかなり豊富なようです。

ホアキン・フェニックスの若い頃①~兄弟たちが先に子役として活動

ホアキン・フェニックスはごく普通の一般家庭に生まれ、兄弟は5人もいたことから家計は貧しかったのだそうです。

兄弟たちはみんなで力を合わせて路上パフォーマンスをして家計を支え、その中で兄弟のひとりがエキストラとしてCM出演のチャンスを掴みます。

ここから母親がテレビ関係の職に就き、兄リヴァー・フェニックスが10歳にして初めてテレビ出演。

その後はそれぞれの兄弟たちも子役として活動するようになったものの、ホアキン・フェニックスだけは兄弟たちから距離を置いていたのだそうです。

ホアキン・フェニックスの若い頃②~父親と南米を回った

ホアキン・フェニックスは兄弟たちが子役として活動する中、自身は父親と一緒に南米を旅してまわったようで、当時はそのおかげもあってスペイン語も話すことができたのだそうです。

当時は両親がプエルトリコのカルト宗教団体で宣教師を行っていて、おそらく父親の活動もあって一緒に南米を回っていたものと見られています。

ホアキン・フェニックスの若い頃③~自身も子役として活動を開始

ホアキン・フェニックスは南米から戻ると他の兄弟たちと一緒に自身も子役としてデビュー。

当時は「リーフ・フェニックス」という名前を名乗っていて、兄が出演していたドラマで初めて演技を披露しています。

その後はいくつかの映画に出演し、「ラスキーズ」という映画で主演も務めるなど、注目の子役になっていました。

ホアキン・フェニックスの若い頃④~活動休止

ホアキン・フェニックスは1989年に出演した映画「バックマン家の人々」を最後に子役としての活動を休止。

このときは「似たような役のオファーばかりだった」と理由を明かしていて、子供ながらに同じ役柄にはうんざりしていたのだそうです。

ちなみに活動休止中に一度だけ短編映画に出演したことがあり、このとき初めて本名のホアキン・フェニックス名義で出演したのだそうです。

ホアキン・フェニックスの若い頃⑤~兄の死を経験し映画界から離れた

ホアキン・フェニックスは1993年10月に兄リヴァー・フェニックスと姉で女優のレイン・フェニックスとともにジョニーデップのナイトクラブを訪れます。

ここで彼は兄の死を経験し、気が動転しながらも救急隊員へ連絡して助けを求めたのだそうです。

これ以降、彼はマスコミの取材などに嫌気が指し、一時期完全に映画界から離れることになりました。

ホアキン・フェニックスの若い頃⑥~再び映画界に戻りスターに

ホアキン・フェニックスは映画界から離れていた頃、友人から勧められる形で復帰をすることに。

その後は1997年の映画「秘密の絆」で主演を務め、2000年の映画「グラディエーター」にて主演ラッセル・クロウの敵役を演じ、その圧倒的な演技力からアカデミー賞やゴールデングローブ賞などで助演男優賞にノミネートされます。

これをきっかけに彼は映画界で人気・知名度を一気に上げることとなり、話題作への出演が相次ぎました。

ホアキン・フェニックスの現在の活動について

ホアキン・フェニックスは若い頃から様々な経験をしていて、現在では世界的な俳優のひとりとなっています。

また、彼は年齢を重ねるごとにその活躍に注目が集まっていて、今後演じる作品への期待も高まります。

ホアキン・フェニックスの現在の活動は?

ホアキン・フェニックスは2024年7月現在も俳優として第一線での活動が続いていて、2010年代から2020年代までほとんど毎年のように映画への出演を果たしています。

年齢的には高齢になってきましたが、その活躍は目立つ一方で、彼が出演しているだけでその作品の注目度もアップしているようにも見受けられます。

ジョーカー:フォリ・ア・ドゥの注目度は高い

ホアキン・フェニックスと言えば2019年の映画「ジョーカー」が世界的な大ヒットとなり、一躍俳優として脚光を浴びましたが、2024年10月にはその続編となる「ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ」の公開が予定されています。

同作品では歌手で女優のレディー・ガガも出演していて、強烈な個性を放つ2人がどういった物語を作り出すのかには大きな注目が集まっています。

映画自体はすでに完成しているようで、あとは公開日を待つだけです。

まとめ

ホアキン・フェニックスには兄リヴァー・フェニックスという大きな存在がいましたが、現在はすでに兄にも負けないほどの超人気俳優へと成長しています。

また、年齢を重ねても進化し続ける彼の今後の活躍には世界中から大きな注目が集まっています。

近年はジョーカーの印象が強いですが、また違ったキャラクターも見てみたいものです。

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